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自称・キリストさんの『恐怖』

以前☆この記事☆にも書いた通り、自称・キリストさんはポールシフト以降、キョ~~~レツな『恐怖』を感じていました。

で、わたしがね、ある『気づき』に至った途端、この『恐怖』が消えたんですが・・・

7月1日の青森行きの件について書く前に、まずはこの時に得た『気づき』・・・てか、自称・キリストさんとの会話について、書いておきたいと思います。

以下は、6月22日、まどろみの中、降りて来た『気づき』についてICレコーダーに録音中、いつの間にかはじまっちゃった、自称・キリストさんとの会話です。



すべては『あるがまま』、最初から決まっている。

挫折することも・・・

自分が何かしたから、あるいは何かしなかったから、挫折するわけじゃない。

成功することも・・・

自分が何かしたから、あるいは何かしなかったから、成功するわけじゃない。

それはきっと、決まっているんだ。最初から。

何かに過剰に反応して、悲しんだり、怒ったり。

そういう感情も・・・

その感情を感じている、傷ついた過去生も、わたし個人のものじゃない。

DNAに刻まれてきた『記憶』だ。

過去から、先祖から、DNAによって伝えられてきた『記憶』。

キリストさんの『記憶』(=キリストさんが感じている『恐怖』)もそう。

肉体に刻み込まれていた『記憶』が再生されているんだ。

再生されると、どうなるんだろ?

ソレ(再生されている『記憶』=『感情』)を感じると、どうなるんだろ?

ソレを感じていることに気がついたら・・・

ソレは消えた。

気がつくだけでイイのか?

気がついて・・・

ソレは『今』のものじゃないって気がついて・・・

『今(生)のアタシ』が感じている恐怖じゃないんだって・・・

それを認識しただけで、手放したことになるのかな?

どうなの? キリストさん。




そうだ。なる。



なるの?!



そうだ。なる。

気づけばイイ。

気づくだけでイイ。

『あるがまま』気づいたら、ただ、ゆだねればイイ。

ソレは自然と、消えてゆく。

再生されつくしたら、最後に残るのが、『本当のオマエ』だ。

肉体に刻まれた『記憶』が全て再生され尽くせば、オマエは、『純粋なるスピリット』となる。

それが、『本来のオマエ』だ。




というわけで・・・

これはあくまでも、わたしと自称・キリストさんとの、個人的な会話です。

が・・・

わたしがこのブログに綴り続けて来たこれまでの記事の内容と照らし合わせて。

それぞれに、受け止めてみていただければと思っています。

『キリストの墓』 その1

お待たせいたしました<(_ _)>

『キリストの墓』旅行記です。



『キリストの墓』に関するメッセージ・・・てかサインをはじめて受け取ったのは、人気スピ系ブログ『一万回生きたマナ』で、マナさんが鞍馬山に行った時の記事を読んでいる時でした(ので、2011年1月5日頃のことだったはず)。

へ~。
そう言えばマナさんて確か、サナト・クマラさんとこの所属だったよな(゜.゜)
だから鞍馬に呼ばれたのかなあ?
だとしたら・・・
アシュタールさんとこの所属らしいわたしは、いったいどこに呼ばれることになるんだろ?

と思った途端、ヴィジョンが視えました。

こんもりと盛られた土の小山の上に、大きな木製の十字架が建てられていて・・・これが2つ。

あれ、お墓みたいだな。

って思ったら、ヴィジョンの上に『青森』って文字が重なりました。

で、そう言えば確か・・・もう何年も前に見たバラエティ番組かなんかで、青森にキリストの墓があるって話を取り上げていたっけ。

と思い出し、『キリスト』『墓』『青森』のキーワードで検索してみたら・・・

ヒットしたのが『これ』でした。

なぜにこの時、すぐに『キリスト』というキーワードが浮かんだのかと言えば・・・

これまでに色々とサインを受け取っていたからなんですが。

まずは この記事に書いたような体験があり・・・

はじめてたんたんさんのセッションを受けるためにカーサロータスに行った時も・・・

予定の時間より早く着き過ぎてしまったので、立ち読みでもしようかと入ったコンビニで目に留まったのが・・・

『キリスト教を知りたい。』

というタイトルの本で。

わたしは別に、「キリスト教を知りたい」なんて思ったことは無かったのですが・・・

なぜか?

この本のことが気になって、気になって、つい立ち読み。

だけして店を出ようとしたのに・・・

なぜか?

後ろ髪を魅かれるような感じがして・・・

結局、この本を買ってからカーサロータスへ。

てなことがあったにもかかわらず・・・

わたしは未だにこの本を、読破しておらず。

けっこう薄い本なのに(-_-;)

いったい何のために買ったんだろ???

と思っていたのですが・・・

去年の11月5日、実家2階の南側廊下の窓から網戸越しに外を見たら・・・

101105_1119~0001

十字架が(・。・;

で、網戸を開けてみたら、こんな感じ。

101105_1119~0004

だったので、太陽の位置と網戸の具合で十字架の形に光って見えていただけなのでしょうが・・・

信じる者は救われるア~メン

というわけで。

こういったサインがあったものでね、土の小山に建てられた十字架を視て、反射的に?『キリスト』さんの墓を連想したのだと思われます。

ただね、この時点ではまだ、「ふ~ん。これはつまり、ここに行けってことなのかなあ?」と思っただけで、軽~くスルーしていたんですよ。

だって遠いし(-。-)y-゜゜゜

けどその後、あの『化学反応』を経て、たんたんさんとニコニコけいこさんのクリスタルボウル・コンサートの会場へ向かう途中、気がついたら自分の中に、自称・キリストさんがいて・・・

いつだったか? もう忘れちゃったけど、7月に『キリストの墓』へ行くように言われ・・・

ここまではもう、☆この時☆にはすでに起こっていたことで。

けど、たんたんさんのセッション中にハイヤーセルフとしてキリストさんが現われてくれたことで、わたしは自分が受け取っているメッセージが妄想ではなさそうだと思えるようになり・・・

7月って言ってもなあ、いったい何日に行ったらいいんだろう?

って思っていたら・・・

「朔の日に行け」

って言われて・・・

「朔の日」ってつまりは「新月」のことで、7月に「新月」は2回あったけど。

面倒くさいことはさっさと片づけちゃいたいタイプなもんで。

7月1日に行こう!

と決めて。

行ってきたというわけなのです。

・・・と、前置きが長くなり過ぎたので、一旦〆て、つづきます☆

これ押すの、そんなに面倒くさいですか?
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貼るのも面倒くさいです

『キリストの墓』 その2

(最後尾、追記しました)

6月30日の朝にこちらを出発して。

行き当たりばったり。

行きゃあなんとかなんだろ(^。^)y-.。o○

と高をくくっていたら・・・

『キリストの墓』がある場所って、わたしの想像を超える僻地で・・・

八戸駅からバス2路線を乗り継がないと行けなくて。

しかも、めっちゃバスの本数が少なかったので。

本当は着いた日に五戸まで行っておきたかったのですが・・・

八戸の観光案内所から電話で問い合わせてみたところ、五戸では宿が確保できず。

仕方なく、その日は八戸に滞在。

着いたのが夕方だったんで、特に観光とかも出来ず。

普段わたしはTVとかほとんど観ないのに、することがなかったもんだから、安宿の一室でただただTVを観て時間をつぶし・・・ていたらなぜか? 

『キリストの墓』の周囲に酒をまきながら歩いている自分のヴィジョンが見えたので・・・

翌朝(=7月1日)。

とりあえず、コンビニで小さめの日本酒を購入(さすがに一升瓶をかかえてバスに乗りたくはなかったので)。

で、バスを2路線乗り継いだ末、更に、村営(なのかな?)の無料バスに乗り、昼過ぎに『キリストの墓』付近に到着。

案内板で『キリストの墓』の位置を確認した途端、涙がこみ上げてきました?!

未浄化な方が泣く時の、あの感じで。

けど、悲しいとか辛いとか苦しいとか、そういうんじゃなくて。

ただもう「感極まった」って感じで。

ほとんど嗚咽に近い感じで泣きながら坂道を登り・・・

110701_1231~0004

『キリストの墓』の下に到着。

まずは階段脇に設置されていた説明文を読んでみたんですが・・・

中で自称・キリストさんが泣いていたせいなのか? 

内容が全く頭に入って来ず・・・

とにかく、異様な泣きっぷりだったもので、こんな姿を他人様に見られるわけにはいかないと思い、とりあえず階段を上がったら・・・

階段を挟んで左右に1基づつ、全く同じ形の墓が並んでて。

どっちがキリストさんの墓なのか? わからなくて。

それなのに、勝手に身体は向かって右の墓へ。

で、墓の前に立った途端、キリストさんは更に感極まった感じで泣き始め・・・

わたしはなぜか? 墓の周囲を右回りに一周。

した後、そのまんま、反対側の墓の前にも立ち、やっぱり右回りに墓の周囲を一周。

で、弘法大師様の指示のもと、右側の墓の前に再度立ち、買ってきた日本酒をまきながら、もう一度右回りに墓の周囲を一周。

左側の墓にもまいた方がいいのかと思って加減しながらまいていたら・・・

「いいんだいいんだ。こちらだけで」

と、弘法大師様に言われ・・・

え? そうなの?

と思いつつ、ちょっとだけ残ったので、左の墓の前にもまきに行ったら・・・

弘法大師様はもう、「うんうん。いいんだいいんだ。そっちは」ってな感じだったんで、もう一度右側の墓の前に立って。

ここまでの間、わたし・・・てかキリストさんはず~っと泣きっぱなしだったんですが。

日本酒をまいた後、墓の前に立ってひとしきり泣いていたら、ふいにスッと涙が治まって。

ん? もうイイのかな? 他にするべきことは無いのかな???

と思ったら、弘法大師様が・・・

「もういい。これで全て完了した」

とおっしゃったので、さっさと階段を下りて、もう一度、階段脇に設置されていた説明文を読んでみたら・・・

110701_1230~0001

ああ、右側の墓がキリストさんの墓だったんだ!

やっぱ弟さんの墓は、からっぽなんだろうな~(゜.゜)

と、改めて納得。

で、感極まった感じで泣いていたキリストさんの想いも、何となく、わかるような気がしたのでした。

なんて簡単に書いちゃうのはあまりにも不遜なくらい、『人間』としてのキリストさんの人生は正に、艱難辛苦だったんだろうな~~~って。

誤解されてしまう悲しみとか。

伝えても伝えても伝わらないもどかしさとか。

否定され、非難され、攻撃されることに対する恐怖心とか。

十字架を背負って歩いたり、磔になったり・・・

したのがキリストさんなのか? 弟さんなのか? 

ことの真相はわたしにはわからないけれど。

どっちにしろ、肉体的にも想像を絶するほど、痛かったろうな~、苦しかったろうな~って。

ポールシフト以降、自分自身(?)が感じていた苦痛を思い出し、改めて、同じ『人間』として、キリストさんに共感・・・て言葉を使うのは、やっぱ不遜だとは思うけれど。

キリストさんに比べれば、わたしが味わった苦痛なんてきっと、100分の1とか1000分の1、いや、1億分の1くらいかもしれないけど。

同じ『人間』だったのに、『真実』を語っただけで、『真実』を伝えようとしただけで、同じ『人間』達から信じられないような暴力を振るわれたわけだから、本当に怖かったろうなって・・・

その恐怖が、DNAに刻みつけられていたんだろうなって。

改めて納得しちゃったと言うか・・・

これはまあ、あくまでもわたしの仮説でしかないのですが。

てか、本当はね、こういうことを言ったり書いたりしている人が、他にもいるはずだと思っているのですが・・・

そこらへんはまあ、確かめようが無いことなので、スルーするとして。



わたしはその後、『キリストの里伝承館』に立ち寄ることもせず、そのまんま、村営のバスが止まった場所まで引き返しまして。

そしたらちょうどそこに、折り返してきた村営のバスがやってきたので、乗車。

『キリストの墓』に滞在した時間は実質10分かそこらだったと思います。

バスの運転手さんは当然の如く同じ方だったので・・・

いったいコイツ、何しに来たんじゃ?

と、不思議に思っていたことでしょう。

わたし自身、あまりの呆気なさに、同じことを思っていましたから。

いったい あたしゃあ、何しに来たんだ? って。

けどまあ、お役目的なことはこれで終わりらしいし、ま、いっか(-。-)y-゜゜゜

と例の如くスルーして、『森のイスキア』へ行った時とは比べ物にならないくらい何の感慨も無く帰って来たのですが・・・

だったらじゃあ、なぜにこんな記事を書いておるのかと申しますと・・・

改めて思ったからなんです。

ああ、キリストさんてやっぱり、『人間』だったんだよな~(゜.゜)

って。

あの、案内板の前に立って、キリストさんの墓の場所を確認した途端、ブワッとこみ上げて来たあの感情・・・

言葉では説明できない、感極まったあの感じは、正に、艱難辛苦を乗り越えてきた『人』の想いだと感じたから。

本当のキリストさんは、キリスト教が伝えているような、いかにもな『聖人』なんかじゃなくて、極めて人間的な感情を有した、わたしたちと同じ『人間』だったんだ!

きっときっと、そうだったんだ!

何をされても涼しい顔で、ただただ笑顔で何でも許す。

そんな人間離れした、作られた神様像的存在じゃなくて。

わたし達と同じように、泣くし、怒るし、悲しむし、女の人も大好きな、すごくすごく、人間らしい『人』だったに違いないんだ!

てことを、わたしはなぜか、猛烈に伝えたいと思ったので、この記事を書いたわけなのです。

うん。

まあ、それだけなんですけどね。

ちなみに。

『キリストの墓』へと向かうバスに乗り込む直前まで・・・

わたしはね、こんなことを、内心思っておりました。

これが全部わたしの妄想に過ぎなかったとしたら、なんかホント、バカ過ぎるよな~(;一_一)って。

けどね。

バスに乗り込んだ直後、窓の外を通過していった車のナンバーが目に留まりまして。

それが確か、『335』。

はい。エンジェル・ナンバーです。

で、その後もね、見るわ見るわ(・。・; エンジェル・ナンバー。

対向車線から走ってくる車のナンバーが、これでもか! っていうくらいエンジェル・ナンバー。

青森って3桁ナンバー多いんですかね?

あまりにも次から次へとエンジェル・ナンバーの車が走ってくるものだから、なんだか段々面白くなってきまして。

途中からメモり始めたんですが・・・

525
722
707
778
544
667
277
559
272
444
686
161
303
626
454
414
119
886
559
667
665
933
335
366
223
288

往復で、これだけのエンジェル・ナンバー車を目撃。

てか、メモりだしたのが途中からなんで。

実際にはもっと多かったんですが。

444に至っては、行きと帰り、同じ車とすれ違いました。

この時はさすがにもう・・・

ああああ。わかったよ。ありがと。ありがとね(^_^;)

てな感じで、思わず笑ってしまいました。

更に・・・

『キリストの墓』へと向かうバスが走っていた道路が・・・

110701_1244~0001

『454』

ちなみにパート2。

墓からの帰り道、気がついたら、キリストさんがいなくなっていたので。

じゃあきっと、お墓までキリストさんを運ぶのがわたしのお役目だったのかな~(゜.゜)

と思っていたら・・・

数日後、いつの間にか、何事も無かったかのようにキリストさんがおりまして(・。・;

本人的には、『キリストの墓』に行ったことに、いったいどんな意味があったのか? 全くわからないまま・・・てか、教えて貰えないまま、現在に至っております。

いいけどね、別に

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あ!

そうそう。

歴史上の人物であるイエス・キリストと、『キリスト意識』ってのは、全く別物。ってか、関係無いんですってね?

オイラはまだまだ『キリスト意識』には遠そうです(-。-)y-゜゜゜



追記

ちなみにパート3。

五戸だったか? どこのバスの発着所だったか忘れちゃいましたけど。

敷地内に、誰だかわからない銅像(胸像?)みたいなんがあって、その隣に石碑があったのがバスの窓から見えたんですが・・・

その石碑には、こんな文字が刻まれておりました。

『使命を果たす』

・・・

これもまた、メッセージだったのでしょうか?

だとしたら・・・

「使命を果たしなさい」

という意味だったのか?

あるいは・・・

「使命を果たしましたよ」

ということだったのか・・・

まあ、どっちの意味でもあるんでしょうな(=_=)

『キリストの墓』 おまけ

自慢じゃないが、わたしはこれまで1度も、パワー・スポット的なところには呼ばれたことがない。

強いて言えば、このお山 にはここ数年、毎年初詣に行ってはいるが。

そのくらいだ。

ハートチャクラの封印が解かれて以降、お役目的な感じで行くように言われたのは、『森のイスキア』と『キリストの墓』くらい。

で、どちらも結局、『人間』だった。

佐藤初女さんとキリストさん。

どちらも、『人として』『奉仕に生きた人』だ。

わたしにとってそれは、とても感慨深いことであると同時に、必然だと感じられた。

なぜなら・・・

わたしはスピ系ブログに出会って以来ずっと、『人として』って部分に拘り続けて来たから。

『人格統合』と『カーサロータス』に出会って以降、必然的に不思議系のお話が増えてしまったので、忘れておられる方もいらっしゃるとは思うけれど・・・

この記事にも書いている通り、わたしは元々、『スピリチュアル』な世界には一線を引いて関わっていた。

視えない世界があることは信じていたし、受け入れてはいたが、視えない世界を視ることよりも、この現実世界で、『人として』生きることの方がずっと大事だと信じていた。

そして、その想いは、今でも変わってはいない。

だってわたしは、ハートチャクラの封印が解かれた後もずっと、『人として』、自分の中にいた分裂人格や、過去生の人や、未浄化な人達と関わって来たから。

わたしは『人として』、同じ『人』であった、『人格』を持った彼らと真摯に向き合い、共感し、会話を交わしてきた。

確かに、シールズに頼んで浄化や癒しの光を降ろして貰ったりはしたけれど。

それに関しては、自分がやった感は全くない。

ただ、お願いしただけ。って感じだから。

わたし自身は全くもって、特別なことをしていたという意識は無い。

と言っても、これはたぶん、『体験』してみなければわからないことだと思うので。

このブログを読んでいる方の中には、わたしのことを『霊能者』だと思っている方もおられるのだろうけれど・・・

で、もしかしたら、実際にそうなのかもしれないけれど・・・

『霊能者』だって、同じ肉体を持った人間だ。

『人間として』の『課題』を抱えている。

で、その『課題』に真摯に向き合い、乗り越えること自体が、最も重要な、わたしの、てか、わたしたち『人間』の『仕事』なのだと、わたしは思っている。

強いて言えば、他の方々が自身の心の内にだけ仕舞っておくようなことを、わたしの場合はこのブログに正直に記録し続けることでシェアしている。

どうやらそれが、わたしにとっての『奉仕』らしいけれど。

正直、「こんなブログ、とっとと閉じてしまいたい(/_;)」と思ったことが、何度もある。

が、その度に、ギャラクティック・ルーツ・カードを引くと、このカードが出た。

『64 奉仕に専念する』

全くもって、うんざりした。

けど、さすがにもう、あの『化学反応』以上に辛い体験をすることも無いだろう。

てか、あって欲しくないと願いつつ、今日もまた、この記事を書いていたりしているわけで。

このことはね、是非一度、改めて書いておきたいと以前から思っていたのだけれど。

やっと書けた。

ちなみに、わたし自身、以前は『霊能者』さん達に対して、『偏見』を抱いていた。

特に、光光、キラキラ~ンなスピ系ブログのブロガーさん達に対しては、「視えない世界が視えるって、そんなに偉い? それよりも、『人として』、現実に向き合って、地に足をつけて生きることの方が、よっぽど大事なんじゃないの?!」って。

今でもね、基本的には、そう思っている。

ただ。

自分自身が、この1年半の体験を経てみてね。

以前、某スピ系ブロガーさんが、ご自分のブログの記事の中で綴った本音というか・・・虚しさと、ほんの少しの苛立ちや諦めの感情がにじみ出た一文のことを思い出して・・・

はじめて、その時の、その方の気持ちがわかったような気がした。

だからこそね。

結局のところ、『体験』してみなければわからないんだな~(゜.゜)って思って・・・

改めて、『自分がしたことは自分に還ってくる』んだな~(゜.゜)って、納得出来たって言うかね。

で、同時に、楽にもなって・・・

ま、そういうこともあって。

こういう 決断を下すことにしたわけでね。

うん。

わたしがそうであったように・・・

どの道みんな、わかる時は来るんだし。

その時期が遅くても早くても、その違いに優劣は無いし。

例えると・・・

かつてわたしが偏見を抱いていたブロガーさんは『親』。

当時のわたしは『子』。

で、わたしがその後、このブログに綴り続けて来た『体験』を経て、どうやら少し、『大人』な意識へと成長できたように・・・

今、わたしに『偏見』を抱いていたり、あるいは、『懐疑的』な視線を向けておられる方々もまた、いつか、近い将来、『子』の意識から『親』の意識へと成長し・・・

某ブロガーさんやわたしのような、悲しみややりきれなさを体験しつつ・・・

そうやってわたし達は、互いに助け合い、支え合い、つながり合って、成長してゆくのだろうな~てか、これまでもね、そうやって、成長してきたのだろうな~って、わたしは思っていて。

これはつまり、現実レベルでの親子関係と同じだよね。

って思うわけで。

ACの場合はまあ、親と子の立場が逆になっておる場合も少なくはないわけだけれど。

それでもね。

ああ、お父さんとお母さん、本当に苦労して、わたしや弟のこと、育ててくれたんだな~。
その想いを、わたしちっともわかってなくて、申し訳ないことしちゃったな~。
ごめんね。
お父さん、お母さん。

と、42歳にもなってからやっと気がついたりするわけで。

結局のとこ、『親の愛』というものは、そういうものなのかもしれないな~。

と、未婚で子無し の ねこきち は、しみじみと思っていたりするわけで。

『良い親』というのは、『子供にとって都合の良い親』『子供の期待通り動く親』じゃない。

子供にとって本当に必要な『体験』をさせてあげられたり・・・
子供にとって本当に必要な『言葉』を贈ってあげられたり・・・
子供が転んで泣いてる時も、「必ず自分で立って歩ける」と信じて、手を出さずにジッと見守っていたり・・・
あるいは見守ることさえせずに、子供を信じて突き放したり・・・

子供からしてみたら、けっこう『厳しい親』のことなんじゃないかなって思う。

実際にいるでしょ?

「お父さんもお母さんも、どうして叱ってくれないの?! 叱ってくれなかったの?!」

って思って、傷ついてるお子さんたち。

わたしの場合はまあ、毎日のように怒られていたから、自分自身はこの感覚はわからないけど。

弟のことに対しては思ってたもの。

「お父さんもお母さんも、どうして@(=弟)には何も言えないの?! 叱れないの?!」

って。

ま、実際に叱ったら叱ったで、子供から逆恨みされるようなこともあるのかもしれないけど。

てか、反抗期には必ずや、子は親に理不尽に噛みついたりするわけなのだけれど。

それでもね。

言うべきことを言うことで、たとえ子供から恨まれることになったとしても、敢えて言う。

それこそが、『無償の愛』というものなのだろうと、わたしは思う。



わたしはきっと、今生では、自分の血を引く『子』を持つことは無いだろうけれど・・・

いつか、実際に『子供』を育てるような機会を得ることになったとしたら・・・

イザベラみたいにベッタベタに過保護な『親』じゃなくて、きちんと、毅然として、愛を持って、叱るべき時は厳しく叱れる『親』に成りたいと、『今』、心から思う。

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ホントのおまけ。

『キリストの墓』へ向かう途中、おかしなデコ軽トラを見た。

その軽トラの車体には、『赤い龍』と、たぶん『すずめ(?)』が描かれていた。

これもやっぱりメッセージなのかしら?

だとしたら、どんな意味???

『龍』と『すずめ』の組み合わせって・・・



おまけのおまけ

確かに、わたしは今、『課題』の真っただ中にいる。

てか、実家に戻って来て以来、常に『課題』の真っただ中にいたのではあるけれどね(-_-;)

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