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スランプ

実家に戻ってから早3ヶ月半。未だに、新しい物語を書きだせずにいる。
正直、焦らずにはいられない。
で、昨日、例のごとく、ネットで無料のオラクルカードに相談してみた。

Q:スランプから脱出するために、わたしには何が必要なんでしょう? 何が足りないんでしょう?

Osho禅タロット

66. 嘆き

これは、仏陀のいとこで弟子でもある阿難(あなん)のイメージです。彼はたえず仏陀のそばにいて、22年ものあいだ仏陀のあらゆる身の回りの世話をしていました。仏陀が死んだとき、阿難は依然として彼のそばにいて、泣いていたと伝えられています。ほかの弟子たちは彼が誤解していることを責めました——仏陀は完全に満たされて死んだのだ、おまえは悦んでこそ当然なのだ、と。それでも、阿難はこう言ったのです。「きみたちこそ誤解している。私は彼のために泣いているのではない、自分のためなのだ。私は何年ものあいだずっと彼のそばにいたのに、いまだに成就していないからだ」。阿難はその夜一晩中起きていて、深く瞑想し、痛みを感じ、嘆き悲しんでいました。朝になって、彼は光明を得たと言われています。どうしようもなく嘆き悲しんでいる時は、その奥に、大きな変容の時となりうる可能性が潜在しています。しかし、変容が起こるためには、私たちは深く、痛みの根そのものにまで入っていき、非難することも自分を憐れむこともせずに、そのあるがままの痛みを体験しなければなりません。



このメッセージを読んで、なんだかちょっと、ホッとした。
痛くてもいいんだと。
で、改めて気がついた。
どうやらわたしは、自分の書いたものを他人に批判されることを恐れているようだと。
その恐怖心は、もともとわたしの中にあった。
にもかかわらず、わたしはその恐怖心に気づかないふりをして、心に強い麻酔薬を打ち続けて、7年間仕事を続けてきた。
が、去年、Sプロデューサーや例の監督とお仕事をしたことで、その恐怖心に気がついてしまい・・・
わたしは脚本を書き始めて以来、初めて、脚本を書くことが恐ろしくなってしまった。
そして、脚本家という仕事への意欲を失い、『児童文学を書く!』という新しい目標を立てて、実家に舞い戻ったわけだ。
にもかかわらず、わたしは未だに児童文学を書き始められずにいて、その原因もどうやら、脚本への意欲を失ってしまった原因につながっているらしい。

というわけで、わたしはまた改めて、カードセラピーに相談してみた。



Q:この恐怖心を克服するためには、どうしたらいいのでしょうか?

ネガティブカード

ポジティブカード



確かに、我が両親は二人ともアダルトチルドレンなので、自己否定の念が強い(-_-;)

ま、結局のところ、自力で自分を信じるしかないんだろうな(゜.゜)

というわけで、ここで一つ、気分を変えて、最近迷っていたことがらについて、再び禅タロットに聞いてみた。



Q:2Hサスペンス用の企画を考えようとすることは、わたしにとって執着なのでしょうか?

74. 忍耐

私たちはどうやって待てばいいのか忘れてしまった。それはほとんど見捨てられたスペースだ。ふさわしい瞬間を待つことができるということは、私たちのもっとも大きな宝だ。全存在がふさわしい瞬間を待つ。樹ですらそれを知っている——花を咲かせるのはいつなのか、すべての葉を落とし、空に向かって裸で立つのはいつなのかを。樹々は裸であっても美しい。古いものは去り、新しいものがすぐにやって来て、新しい葉が育ちはじめるという大いなる信頼をもって、樹は新しい葉むらを待っている。私たちは待つことを忘れてしまった。私たちはあらゆることを早急に欲しがる。それは人間にとって大きな損失だ……。
沈黙して待っていると、あなたの内側でなにかが成長しつづける——あなたの真正な実存が。そしてある日、それはジャンプして炎になり、あなたの人格全体が粉々になる。あなたは新しい人間だ。そして、この新しい人間は、祭り祝う(セレモニー) とはどういうことかを知っている。この新しい人間は生の永遠のジュースを知っている。

解説:

あとは待つしかない、という時があります。種はまかれ、子宮のなかでは子どもが成長し、あこや貝は砂粒に膜をかけて真珠に変えようとしています。このカードは、今こそただ油断せずに、忍耐強く、待っていることだけが求められている時なのだということを私たちに思い出させてくれます。ここに描かれている女性は、まさにそのような姿勢をしています。満たされ、不安な様子もなく、ただ待っています。頭上を過ぎていく月のあらゆる相を通して彼女は忍耐強く、月のリズムとすっかり合っているために、そのリズムとほとんどひとつになっています。彼女は、今は自然がみずからの進路を取るに任せ、自分は受け身であるべき時だということを知っているのです。しかし、彼女は眠たげでも、無関心でもありません。重大ななにかに備える時だということを知っています。それは、まさに夜明け前のひと時のように、神秘に満ちている時です。あとは待つしかない、という時なのです。




なんだかめっちゃ、ホッとした。

東京にいた頃のわたしは、いつでも常に頑張っていないと不安だった。
頑張らなければ結果は出ないと信じ、自分に良い結果が出ないのは、自分の努力が足りないからだと自分を責めてばかりいた。でも・・・

『忍耐』のカードに書かれたメッセージを読んで、改めて思った。
努力って、目に見える、形として残るものだけじゃないんだなって。
頑張りたい気持ちだけはあるのに、思うように頭も体も動かなくて、何一つ出来ていないように思える時も、本当は、何もしていないわけじゃない。きっと何かが蓄積されて、育っている。

だから、自分を信じて、焦らずに、今できることをしていこう。
思うように出来なくて、無駄なあがきをしているだけのように思えても、あがくことは無駄じゃない。
そのことはもう、脚本家を目指していた8年間に、嫌と言うほど味わって、証明してきた事実だから、信じられる。
辛いけど、信じられる。



ちなみに、わたしはかつて、「スランプ」という言葉を使う人を、軽蔑していた。
それは「甘え」だと思っていた。
「スランプ」でも書くのが、プロというものだと思っていた。
でも・・・
自分が体験してみて、思い知った。
「スランプ」って、ホントもう、自分の力ではどうしようもない、抗いようのない何かなんだって。
古いやり方を破壊して、新しいやり方を構築し直すために必要な体験なんだって。

ちなみにパート2、『筋トレ』に書かれていた2010年のわたしの空模様はこれ。
     ↓
かつてとても簡単に勝てていたゲームに、
2009年、負けたことがあったでしょうか。
「何で?」
と、その理由がわからず、
自分に何が足りないのだろう
と自問することもあったかもしれません。
そのゲームは、もう少し複雑でした。
いえ、そのゲームが複雑だったのではなく
ゲームだと思っていたら実はもう、ゲームではなく
現実の出来事のなかにいたから
勝てなかったのかもしれません。

どんなシミュレーションゲームでも、
現実のそれとは違っていると思います。
カーレースやスポーツのゲームでどんなに勝てたとしても
実際に車に乗ってサーキットを走ったり、
テニスやゴルフをしたりするのとはワケが違います。
おそらく、あるポイントではいくつかのコツが共通しているかもしれませんが
「リアル」で必要なことは、ゲームの世界とは比較になりません。
考えなければならない条件、対応しなければならない要素が
ずっとずっと多いからだと思います。
なにかをゲーム化するときは
「変数」
を設定します。
リアルの世界が持っている変数を全てゲームに入れ込むことは
たぶん、不可能なのだろうと思うのです。
いえ、
リアルの世界が持っているものを全て変数化することが不可能
と言う方が、正しいのかもしれません。

2010年の獅子座は、
「リアル」で本当に勝つために動きます。
何が足りないんだろう?
何が必要なんだろう?
という問いに、世界が全力で答えてくれるのです。
貴方が問えば問うほど、
全宇宙がそれに応答しようとしてくれます。
これは、アタマでする勉強ではなく
誰かが命がけで何かを与えてくれる、そんな「伝授」です。
何かを伝授してもらうには、
教えてもらう方も命がけで、必死にならなければなりません。
2010年のコミュニケーションには、
宇宙的な広さと、天国的な重みがあります。
たぶん、2010年に学んだり受け継いだりしたことを
言葉で説明することはできないだろうと思います。
それらは、秘法のような、魔法のような、
何か特別なルールでできていて
さらに、貴方の心身と結びついたところで
威力を発揮するようなものなのだろうと思うのです。

貴方はそのプロセスの前半で、
「自分」を変えるだろうと思います。
この「変える」作業は、
刀剣を鍛える作業に似ています。
熱い炎の中に刀身を突っ込んで、叩くのです。
2010年前半の貴方は、
日頃使っている鎧をいったん脱いでしまっています。
そして、熱い炎を通して
いままでよりもっと柔軟で丈夫な、全く新しい輝く甲冑を
作り上げるのです。
このプロセスでは、裸の状態になるので、
格好つけることも自分を守ることもできません。
このむきだしになった状態こそが、
貴方の「本気」を、
世界にわからせてくれるのだろうと思います。
世界はそれに応えて、
リアルの中で今度こそ本当に勝つための知恵と力を
貴方に身を以て授けてくれることになる、というわけです。

時期的なことを少し申しますと、
まず、年明け、体調を崩しやすいタイミングです。
ここはムリをせずに、充分休養をとるといいと思います。
元気な人も、何らかの形で
日常のルーティンワークを見直す作業が生じそうです。
先を急がず、ゆっくり整理し整えることをお勧めします。
1月の中程に、この「整理」の期間は終了し、
フレッシュな空気を感じながら「先」を目指せるようになります。
年の前半を通じて、
獅子座は熱い変化にさらされています。
といっても、これはまったく受動的な動きではなく、
自分から買って出ているような、
完全に能動的な変化です。
「キレイに仕上げよう」「格好良くクールに立ち回ろう」
という姿勢だと、躓きやすいと思います。
形振り構わない必死さこそが、
たしかな結果を引き寄せてくれるはずです。
3月は「波に乗れる」タイミングです。
スピードがどんどん上がり、ゆたかなサポートに恵まれます。
4月から5月は、ミッション全体をしっかり見直すことになるでしょう。
これは、やってきたことを否定するようなものではなく、
単に、強化し、曲がってしまったところを軌道修正する、
というプロセスです。
6月に入ると同時に、状況は一変します。
ここまでの形振り構わぬ必死な前進が実り、
貴方は全く新しい力を手に入れることになるのです。
この「新しい力」は、
新しく強力な武器のような、
自分をしっかりサポートしてくれるコーチや先生のような、
そんな「力」だと思います。
あるいは、学べる場とか、ある種の専門分野なのかもしれません。
いずれにせよ、6月前半、
雲の上に突き抜けた!
というような爽快感を味わえるのではないかと思います。
7月と8月は、冒頭から述べたような、
黄金と宝石を追求するコミュニケーションが起こり、
貴方という鉱山を採掘されるようなタイミングとなります。
そして9月以降、幾重にも幾重にも
「体験」が積み重なっていきます。
この層が厚みを増すほどに、
貴方の「勝つための力」が大きくなっていくわけです。
学びは、本を読んで覚えることではなく、
自分の中に、自分と化合させながら注ぎ込み積み重ねる体験を言います。
この「化合」というのは、
起こった出来事や体験したことを
どこまでも噛み砕いて確かに自分の一部とする、ということです。
誰かの言葉の受け売りではなく、
その真意を自分の言葉として、
幾多の言い方で語れるようになる、ということです。
誰かから何かを受け取り、
それをあらゆる意味で自分自身としてしまう、という濃厚なプロセスが
この秋から年末にかけて、
ダイナミックに進んでいきます。
年末には、とてもうれしい評価を得ることができるでしょう。
それは貴方が最も信頼し尊敬し、或いは愛している人からの
褒め言葉ではないかと思います。

愛情関係においては
なにかを引き受けていく、という1年になりそうです。
誰かを愛するとき、人は
相手が背負っている重荷や悲しみ、弱さなどを
どこかで、引き受けていかなければなりません。
誰もが、一人では抱えきれないものを抱えていて
それを少しでも、誰かにシェアしてもらえれば、と願っています。
愛するということは、
その願いを的確に叶えてあげようとする、
ということなのだろうと思います。
2010年の獅子座の愛は、そんなところに焦点が当たっています。
貴方でなければわからないこと、
貴方でなければ受け取ってあげられないこと、を
この時期、引き受けることになるのかもしれません。
獅子座は自己肯定的な星座で、さらに
「他人もそうだろう」と思っています。
ですが、多くの人は、非常に自己否定的です。
自分の輝きや魅力や優しさにはなんの価値もない
と思っている人が実にたくさんいるのです。
貴方の輝きは、そんな人たちに
すばらしい効力を発揮します。
貴方が誰かを愛するとき、
相手に自信を与えることができるのです。
「ここにいていいのだ」と思わせることができるのです。
2010年はおそらく、そんなやりとりが生じるかもしれません。
貴方はそのやりとりの中で
自分の愛や影響力の強さと大きさを知ることになるのだろうと思います。
年の前半を通して、貴方は非常に積極的で情熱的です。
3月にはやわらかな追い風も吹きます。
さらに、好意的な後押しを感じられるのが、6月中旬から7月上旬です。
11月には、愛情のこもった音信が
過去の方から投げかけられるかもしれません。
12月上旬まで、パワフルな時期が続きます。

獅子座は、とても強い星座です。
でも、同時に、繊細さを抱えた星座でもあります。
輝く鎧に守られた繊細な心、という構造が
そのまま守られ続けたとき、
獅子座の運命や生き方はどこか、
小さくまとまってしまったり、ワンパターンになってしまったりします。
2010年はおそらく、
今までの「甲冑・柔らかな内面」という構造が
解体されるのではないかと思います。
そして、今までよりも大きくてダイナミックな、
新しいものに生まれ変わるのではないかと思います。
甲冑は大きく柔軟で丈夫なものに新調され、
柔らかな内面は、タフな包容力や、感受性の深さを増します。
貴方は元々、人を惹きつける輝きを持っている人ですが
そこに、なにか不思議な香りや魔力のようなものが付加され、
それによって、惹きつけるだけではなく
どうしても必要とされる力を放つことになるのだろうと思います。


新しい甲冑、いつ頃出来るのかな~(゜.゜)
楽しみ♪

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方向性の確認

今日のマハボテさんからのメッセージはこれ。
     ↓
Direction ― 方向性

このカードは、同じ事をするにもどういう心づもりでするのかと問いかけています。
何かから逃れたりごまかしたりしたままでは、満足は得られないことを意味します。
せっかくのがんばりが大きく実を結ぶためには、方向性がずれないことが重要です。
今一度真の目的を確認した上で走り出しましょう。結果が大きく違ってきます。


というわけで、ここでひとつ、これからの創作活動における方向性を確認しておきたいと思う。

まず、心の赴くままに書く。
左脳くんよりも右脳くん優先で。
あえて何も決めず(決め付けず)自由に。
これまでのやり方は封印し、新しいやり方に挑戦する。
脚本家としての可能性は閉じないが、怖れから脚本家としての可能性にしがみつくことはしない。
とりあえず、今はまだ、テレビの世界に戻りたいという意欲は湧いてこないので、月一の勉強会も、無理に企画をひねり出してまで参加するのはやめよう。

何のために書くのか? 目的は?

書くことで、自分自身と多くの人々のインナーチャイルドを癒し、喜び(ワクワク)や幸せを共有すること。

たつみや章さんの『月神シリーズ』を読んでいる時に味わったワクワク感や、高楼方子さんの『十一月の扉』を読んでいる時に味わった、あのなんとも言えない幸福感を、わたしも、わたしの物語を通して、多くの人と共有したい。
何より、自分が一番ワクワクしたい。
理屈じゃなくて、感じること。
何かを、言葉では表現しきれない何かを、感じられる物語を書くこと。
わからなくてもいい。理解できなくていい。
理解できなくても、子供の頃、理解できなかったからこそ、大人になっても心に残って消えることのない物語があったから。
わたしもそんな物語が書けたらいいなと、憧れのように思う。

キーワードは、『子供』。

14歳の時、理由も無くふいに、『子供を助けたい』と思った。
あの時の閃きが、自分の進むべき道を照らしている。ような気がする。

てなわけで、一応確認まで。

まだ新しい物語は書き出せていないけれど・・・

今日の午後、ふいに、『新しいやり方』のとっかかりが掴めた。と思う。たぶん。
しばらくは、このやり方を試してみるつもりだ。

これもまた、自身の記録と確認まで。

しかしこのブログ、もう完全に、常連さん以外には意味不明だね(^_^;)

ま、いっか(^。^)y-.。o○

後押し

今日のマハボテさんからのメッセージはこれ。

Validation ― 確証

これは、すでにあなたが漠然と感じていることが真実だと確信することを意味します。
日常の中でそれを確証するような出来事に、あなたは次々と出合っていくでしょう。
それに対して人がどんな反応を示そうと、真実はあなたにとって最高に尊いものです。
まわりに惑わされないで、自分の信念に基づいて行動することに全く躊躇はいりません。


ちなみに、わたしはマハボテさんに、こんな質問をしてからカードを引きました。

わたしは今、進むべき道の上に立っていますか?
今のわたしに必要なメッセージをお授け下さい。

いやホント、いつもながら、的確なメッセージ、ありがとうございます! と感動。

というわけで、マハボテさんからも後押ししていただいたので、昨日掴んだ『新しいやり方』の取っ掛かり、絶対に手放さず、手繰り寄せてやりますぞ♪

求む!

お昼ご飯食べたら急激に眠くなって、つい昼寝。
小一時間ほど眠りこけ、目が覚めて、ふいにこんなことを閃いた。

ブログでお題を募集して、小説を書いてみたらどうだろうって。

ブログのタイトルは、『アナタとワタシの物語』

最初から最後まで何も決めず、ヒラメキだけで書いてくの。

これはあくまでも、小説を書く練習。
最初のお題だけ、ご縁があった常連さんしか読者がいないこのブログで募集させていただいて、物語の冒頭が書けた時点で、新しいブログを立ち上げる。
で、そこで改めて、コメント欄に物語の感想や、こんな展開になったらいいなという希望等を書きこんでいただいて、そこから得た新しいヒラメキを手掛かりに、物語を進展させていくの。

思いついたら即実行で、記事にしてみたんですが・・・

どうでしょう、読者の皆さま。協力していただけませんか? ねこきちを助けると思って。

この記事を読んでパッと頭に閃いた言葉や、かつて観た映画やドラマのタイトル。思い出したエピソード。目にとまった何かなど、どんなんでも結構ですので、コメント欄に書きこんでみていただけないでしょうか。

こうして他人様を巻き込むのはちょっとプレッシャーではあるのですが、自分にプレッシャーを与えるのって、ある程度は必要だと思うのです。
特にわたしの場合、火事場の馬鹿力だけで何度も修羅場をくぐってきたので。
今回も、そんな火事場の馬鹿力=潜在能力を利用して、『新しいやり方』を手に入れられるんじゃないかって、期待しているのです。

というわけで、なにとぞ、力を貸してやっておくんなまし。お願いします!

PS:書きこんでいただいてもピンとこなければスルーさせていただくので、読者の方々はプレッシャーなど感じずに、お気軽に書きこんでやっておくんなまし♪ お願いします<(_ _)>

とりあえず・・・

今日書けたところまで、お試しでUPしてみますね。
たぶんこれで、1話目の半分くらいだと思います。



1:鈴虫と山男

 目が覚めて、枕もとの時計に目をやると、すでに11時をまわっていた。カーテンの隙間から差し込んでくる外の光が、やけに明るい。今日は一日中雨だって、昨夜見た天気予報では言っていたけど・・・と思いながらカーテンを開いてみたら、空は青々と晴れていた。ワタシは思わず天を仰ぐと・・・
「はいはい、わかりましたよ。行きゃあいいんでしょ、行きゃあ」
毒づいて、洗面所へと向かう。その足元に、愛猫がニャアニャアと鳴きながらまとわりついてきた。エサの催促だ。
「はいはい。わかってるって。顔洗って歯、磨いたらね」
言った瞬間、「また後回しにするんだな」と、見えない誰かさんが呆れたように言った気がした。

 すっぴんの四十路顔が隠れるようにと目深にかぶった日よけの帽子を片手で抑えながら、川沿いの遊歩道をママチャリで走る。日差しはまだ夏を主張しているが、頬に触れる風はもう、さわやかに乾いた秋の風だ。ほんの数日前までは暑くてとても穿いてはいられなかったジーンズに、長袖の綿シャツ1枚でちょうど良い。
 一応の目的地は、アパートから自転車で15分ほど行ったところにある公園。と言っても、その公園は草野球のグランドやテニスコート、サッカー場に釣堀まで含む広大な敷地を有している緑地公園だから、行き先なんてあって無いようなものなのだけれど。行くあても無く自転車を走らせるのは、なんだかまるで、空を飛ぶ鳥にでもなったようで、気分がいい。
「な、そうだろう?」
また誰かさんにそう言われたような気がして、ちょっとしゃくにさわった。けど、その通りだ。一歩外に出るまでは面倒でも、出てしまえば案外楽しいし、気持ちがいい。特別何をするわけでもなく、ただ自転車を走らせているだけなのだけれど、頬に触れる風や、色づき始めた道沿いの木々に、移り行く季節を感じてなんとなくホッとする。半年先でさえどうなっているのかわからない不安定な自身の将来に鬱々と思いを巡らせながら、狭いアパートの一室で一日中うだうだと過ごすより、よっぽど建設的な気がする。
 なんてことを考えていると、ふいに、通り過ぎた民家の窓に貼られていた画用紙の文字が目に留まり、咄嗟にハンドルのブレーキを握った。一旦自転車から降りて、来た道を少し戻る。とやはり、見間違えたわけではなかった。窓の内側から遊歩道に向かって貼り付けられたその白い画用紙には、黒いクレヨンでこう書かれていた。
『鈴虫 お譲りします』
以前、郵便局で、販促用として置かれていた鈴虫の繁殖キットを見たことがあった。きっと、ああいうキットを購入して繁殖させた鈴虫が、増え過ぎてしまったのだろう。ふと、アパートの自室の前に設けられた、まさしく猫の額ほどの庭のことが頭に浮かんだ。1年中真っ赤なサルビアの花が咲き、お隣の庭から根を伸ばしてきたのであろう小ぶりの笹が盆栽のごとく鎮座して、その合間を縫うように、ハシバミやホトケノザなど、かわいらしい花を咲かせる雑草が生い茂る我が庭に、鈴虫を放したらどうなるだろう? 逃げずに居ついてくれるだろうか? 涼やかな鈴の音を聞かせてくれるのだろうか? 今年放した鈴虫が我が庭で結ばれて、卵を産み、その卵がかえってまた来年、同じ季節に、美しい音色を響かせてくれたら・・・そう想像してみるだけで、胸がワクワクした。けれど、その妄想を現実のものとするために、見ず知らずの人の家の呼び鈴を鳴らすのはやはりためらわれる。窓にかけられた花柄のカーテンは閉じられていて、室内の様子を窺うことは出来ない。いったいどんな人が住んでいるのか? 鈴虫を飼育して人様にわけてあげねばならぬほど繁殖させてしまうくらいの人だから、きっと、悪い人ではない。イイ人に違いない。と思う。どうしようか? 迷っていると、突然、背後から声が聞こえた。
「何か御用でしょうか?」
ビクッとして振り返ると、ママチャリにまたがった男性が、ジッとこちらを見つめていた。
「あ、いえ、別に・・・」
まるで山男みたいな風貌をした男性を前に、次の言葉が出てこない。どうしよう! と焦るワタシに、
「アッ、もしかして!」
山男は急にクシャッと表情を和らげると、嬉しそうにこう聞いた。
「鈴虫を、貰って下さるんですか?」

つづく



ちなみに、サイクリングの途中、窓に『鈴虫譲ります』という張り紙を貼った家を発見したエピソードは実話です。
ただし、現実のわたしは山男さんに声をかけられることはなく、その家の呼び鈴も押せないまま、鈴虫を諦めてしまったのですがね(^_^;)
同じ頃、saoさんも鈴虫の音に救われていたことに、実はこっそりご縁を感じていたのです。
で、それが今、こんな形でカタチになるとは・・・
人生ってホント、面白いものですな(゜.゜)

追記:ちょっとだけ、加筆&訂正しました。

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とりあえず、カテゴリの『ごあいさつ』から読んでやっていただけますでしょうか( ^^) _旦~~
よろしくお願いいたします<(_ _)>

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