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夢 1

今、NHK教育で放送中の『一期一会スペシャル』を見ながら、この記事を書いている。夢が見つからない若者が、自分なりの夢を見つけた同年代の若者たちに会いに行き、悩みを打ち明け、アドバイスを受けるという企画だ。

わたしは今、「夢が見つからない・・・」と悩み、途方に暮れている彼らのことを、たまらなく愛おしいと感じている。なんだかまるで、昔の自分を見ているような気がするからだ。

25歳になるまで、わたしには「夢」が無かった。自分に何かが出来るだなんて、微塵も思えなかった。「夢」をみるのには特別な才能が必要で、自分には特別な才能なんて、何一つ無いと思っていた。生きていることが、苦しくてしかたがなかった。
たとえば、今ここにいるわたしがタイムトリップして二十歳のわたしに会いに行き、「あなたは15年後、脚本家になっているんだよ」と教えたとしても、二十歳のわたしは絶対に信じたりしないだろう。

なのになぜ、わたしは今『脚本家』という仕事を得ているのか?

話せば長い話なのだが……



そもそもわたしは、極端に自己評価の低い人間だった。

「女は少しバカなくらいでちょうどいい」

これは、わたしが小学校に入学して、はじめて貰って来た通知表を見た父が言った言葉だ。
そのせいか? てか、絶対にそのせいなんだけど・・・
わたしはずっと、自分のことをバカだと思い込んで育った。そして、そのことを、まったく引け目に感じてはいなかった。
だって、「バカでいい」って言われたんだもん。

小学校低学年の頃、わたしは友人たちと通知表を見せ合っては「わ~○○ちゃんすごいな~」「頭いいね~」と、ものすごく素直に感嘆の声をあげていた。友だちが皆、自分より偉く見えた。
高学年になって、いつの間にか自分の通知表に友人たちよりも多くの「4」や「5」が記されるようになっても、「わたしはバカだ」という思い込みはなぜか修正されることがないまま・・・

高校生になったわたしは、「わたしは人よりバカだから、勉強しないともっとバカになる。だから、勉強しなくては」・・・と思って真面目に勉強した。が・・・

悲しいかな。わたしは英語が大の苦手。中学1年生の時は好きだったのだが、中学2年生になって英語を担当した教師のことが大嫌いで、英語まで嫌いになってしまい・・・高校に入学した後は、何が何だかさっぱりわからなくなっていた。と言いつつ・・・後になって中学時代の模試の結果を見てみると、英語も案外出来ていたので、いったいどうしてあんなにも出来なくなってしまったのか??? まったくもって摩訶不思議なんだけれど・・・たぶんそれも、思いこみのなせる技だったんだろう。苦手だからと勉強すればするほど、益々出来なくなっていくという悪循環の仕組みについても、スピ系のブログに出会って理解できるようになったんだけど、それはまた別の記事で書くことにして・・・

ま、とにかく、完全に陥没していた「英語」のために、わたしはまともに受験できる大学がなかった。一応人並みにキャンパスライフに憧れはあったから、模試は受けてみたけれど・・・文系の私立短大なら「A」評価でも、希望していた理学療法士の学校は「D」評価。絶対ムリじゃんと諦めて、わたしは途方にくれてしまった。だって、やりたいことなんてなかったから。
人の役に立つ仕事がしたい。
そう思って、理学療法士を養成する学校を希望してみたけれど・・・一旦諦めてみるとそれも、本当にやりたかったことなのかどうかわからなくなっていた。

まだまだ つづく よ( ^^) _旦~~

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夢 2

無計画に書いているので、話の流れが前後するが・・・

わたしは小学校5年生の頃から、親の老後の面倒をどうやってみていけばいいだろうか? と心配していた。

・・・と他人に言うと、たいてい驚かれる。

わたしには2歳年下の弟がいて、両親は彼を後継ぎとして大切に扱ってきた。けれど・・・
わたしは、弟は将来両親の面倒はみないだろうと予想していた。

弟は跡取り息子として父親から溺愛されていた。そして、未熟児で生まれて体が少々弱かったために、母親からも甘やかされていた。しかも、男の子なのにわたしなんかよりも全然愛らしい顔をしていて、第二子特有の要領の良さも会得していたので、泣けば何でも自分の思い通りに事を運ぶことができた。
だから、最初に弟が命じられたはずのお使いも、弟が一言「嫌だ」と言えばお役御免になり、代役は当然の如くわたしに回ってきた。わたしが「嫌だ」と同じように断ると、「どうしてあんたはいつもそうななの!!!」と雷が落ち、長い長いお説教をくらったあげく、結局はわたしがお使いに行くことになる。
同じように、30年後もきっと、弟は「嫌だ」の一言で親の面倒を見ることを拒否できるだろう。そして、その代役はいつものように、わたしにまわってくることになる。その時、わたしは理不尽に思いながらも、やっぱりまたいつものように、引き受けることになるんだよな・・・

と、得意の妄想で30年後をシュミレーションし、その時に備えるべく覚悟して生きていたわけだ。

で、その予想・・・というよりも確信は、高校3年生になっても揺らぐことはなく・・・

わたしは『女の細腕でも両親を養えるだけの収入を得られる仕事』という基準で、将来なるべき職業を模索していた。

中学時代には『保母さん』になりたいと考えていた時期があったので、保母の資格が取れる私立短大の模試を受けるだけ受けてはみたが、入学金や授業料が(わたしにとっては)高額だったため、両親に相談する前に諦めた。理学療法士の学校を第一志望に選んだのは、公立で学費が安かったし、就職後の給料も(わたしにとっては)比較的高額だったからだ。

そう。わたしはいつもお金の心配ばかりしていた。
そして、そのお金のために、進学を諦めることになったのだった・・・

無計画に思い出しながら書いているので、ついついディテールまで細かく書き込んでしまい、なかなか先に進まない・・・ので、目指せスピードアップ!

わたしは「夢Ⅰ」で書いたような基準で職を模索した末、最終的には建築家を養成する専門学校に行こうと希望を決めた。友人が持っていた同校のパンフレットを見せてもらったら、授業科目に英語が無く、数学と美術がメインだったからだ。

わたしは物心ついた頃から、一人で絵ばかり描いている子供だった。小学校時代は学校が勝手に生徒全員の絵をいろんな公募に出品していて、わたしは何度か賞をもらっていた。絵は、唯一わたしが得意と言えることだったのかもしれない。けれど、前述した通り、わたしは極端に自己評価が低い人間だったので、唯一得意と言えそうな絵でさえ、「○○ちゃんには絶対に勝てない」と劣等感を抱いていた。それでも、他のことよりは多少は得意なのだから・・・という控えめな希望を抱き、親にその希望を伝えた。が・・・

「建築なんて、男の仕事だろ。おまえは女なんだから、高校を卒業したらすぐにでも嫁に行って欲しいくらいだ」
父は、憮然としてそう言った。そして、
「△▽(弟の名)を大学にやらなきゃならない。だから、お前をそんな学校にやる金は無い」
そう言い捨てて、席を立った。

弟はわたしと同じ高校に通っていたが、成績は雲泥の差。学年順位で300番以上わたしの方が上だった。そりゃあそうだ。弟は遊んでばかり。家で勉強している姿なんて見たことがなかった。それでも、「おまえはやれば出来るコなんだから」という母の言葉を真に受けて、「オレはやれば出来るんだ。今はただやってないから出来ないだけさ」と本気で豪語していた。

そんなヤツに、長男だからという理由だけで無条件に進学のチャンスが与えられ、ずっと努力してきたはずの自分は女だからというだけでチャンスを与えて貰えないなんて・・・

悔しいのを通り越して、わたしは絶望した。

専門学校への進学の道が断たれた時、就職希望の受付はすでに終わっていた。
途方に暮れたわたしは、「公務員になれ」という親の言葉に従って、公務員試験を受けた。

わたしの母校は当時公務員養成学校と呼ばれており、学年の1/3が就職組。その半数が公務員だった。が故に、願書など必要な書類はすべて学校が一括で取り寄せてくれ、試験会場には担当の教師が受験する生徒たちを引率して連れて行ってくれるといういたれりつくせりの体制が整えられていた。公務員と一口に言っても職種は様々だが、いったい何がどんな仕事でどの程度の難易度なのか? 公務員など想定外だったわたしは基礎知識もないままに、隣の生徒と全く同じ内容を願書に書き込んで提出した。確か、郵政Ⅲ種Aだったろうか?(うる覚え) 公務員試験は難しいと聞いていたので、正直受かるとは思っていなかったのだが・・・幸か不幸か、見事合格。後になって、公務員試験の中でも郵政Ⅲ種は一番合格しやすいのだと聞かされた。

そんなわけで、高校を卒業したわたしは上京。郵政の独身寮に入り、下町の小さな郵便局で働き始めた。
生真面目な性格なので、与えられた仕事には一生懸命取り組んだ。寮には同期の友だちがたくさんいたので、ちっとも寂しくはなかった。それどころか、毎日が楽しくて仕方がなかった。何よりうれしかったのは、自分で働いて稼いだお金で生活できるということだった。もう二度と、「誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ!」と怒鳴られることはない。そう思うと、進学させてもらえなかったことも、もうどうでもいいことのようにさえ感じられた。
ところが・・・

つづきます。

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夢 3

2年後。弟が公務員試験に合格したと、母親が電話で知らせてきた。職種は、郵政Ⅲ種A。わたしと同じだった。

いったいどうして?! 
弟を大学に行かせるために、わたしは進学を諦めたのではなかったのか???

嬉しそうな母の声を聞きながら、わたしは全身が冷たくなっていくのを感じていた。ショックのあまり、息が止まってしまいそうだった。

それからだ。わたしが「死にたい」と思うようになったのは・・・

自殺するともう一度同じ人生を繰り返さなければならなくなると子供の頃に聞いたことがあったので、自殺しようとは考えなかった。が、早く人生が終わってくれたらいいのにと、心から願った。
なんだか体がひどくだるくて、何をしたわけでもないのに、肩や腰に激しい痛みを感じるようになった。しばらくすると、首も痛くて回らなくなった。マッサージを受けに行ってみると、全身が石のように硬くなっていると言われた。仕事中になんだか突然泣きたくなって、涙をこらえるのが大変だった。仕事を終えてやっと局を出ると、駅にたどりつくまでの間に、チョコを一箱食べきってしまう。電車に乗り込んで窓の外を見つめていると、わけもなく涙があふれ出て止まらない。休日には部屋で一人、押入れの布団に顔を押し当てて号泣した。

もしあの頃、心療内科を受診していたら、うつ病 だと診断されていたのかもしれない。
けれど、わたしは病院には行かず、郵便局を辞めることを選んだ。
死ぬくらいなら、何でもできると思ったからだ。

ものすごくアッサリした書き方をしているが、簡単に郵便局を辞める決心がついたわけじゃない。辞めていったいどうするのか? そのビジョンが浮かぶまで、辞職という選択肢さえ、鬱でボンヤリとしたわたしの頭には浮かんではこなかった。

だったら何がきっかけで、辞める決心がついたのか?

それは、小さな舞台の一番隅っこに立っていた若い端役の女優さんが、ものすごく充実した表情を浮かべているのを見たから。その姿は、わたしの目に、キラキラと輝いて映った。
わたしも死ぬまでに一度でいいから、あんな顔をしてみたい。
その一念で、わたしは郵便局を辞め、『芝居』をしてみることに決めたのだ。
当時、わたしの唯一の趣味が、観劇だった。それも、客席100~300程度の小さな芝居小屋で上演される小劇団の芝居ばかり、1年間に100本以上観ていたと思う。

が、だからと言って、わたしは女優になりたかったわけじゃない。
わたしがなりたかったのは、『できるかできないかなんて考えずに、やりたいと思ったことをやってしまえる人間』だった。
それまでのわたしは石橋を叩いて割ってしまうような人間で、そんな自分が嫌で嫌で仕方がなかった。だから、わたしはなりたい自分になることに決めたんだ。

そう決めてしまったら、あとはトントン拍子にことが運んだ。
後になって思い返すと、「なりたい自分になる」と決めたあの時から、わたしははじめて、自分の人生を生き始めたんだと思う。

郵便局を辞めると決めたわたしは次に、『芝居』をするにはどうしたらいいのか調べ始めた。
すると、世の中には舞台俳優の養成所というものが存在することがわかった。生徒募集のチラシを何枚か集めて授業料を比較。一番安くてオーディションの日程が近い養成所Aをピックアップしてみると、養成所Aの卒業公演が近いことがわかった。わたしは公演を観にいった。芝居より、芝居の幕間に披露されたパントマイムに、わたしはいたく感動。養成所Aのオーディションを受けることを即決した。そして、寮から実家に電話すると、「郵便局を辞めることにしたから」と母親に宣言した。両親はわたしが好きで公務員になったわけじゃないことはわかっていたので、「わかった」とアッサリ了承してくれた。わたしは頑固な性格なので、反対してもムダだと思ったのだと、後になって両親は言っていた。が、辞めた後は実家に戻るものと勝手に思い込んでいたらしい。まさか芝居を始めるなんて、夢にも思っていなかったようだ。ま、そりゃそうだよな・・・
両親に宣言した翌日、わたしは局長に辞職させて欲しい旨を申し出た。局長もアッサリ了承し、1週間で退省の辞令がおりた。まさかわずか1週間で辞令がおりるとは思ってもみなかったので、これにはちょっと慌てた。できるだけ局に迷惑をかけないようにと、1か月ほど余裕を持って辞職の申し出をしていたからだ。

辞令がおりると、すぐに寮を出ていかなければならない。とりあえず、わたしは埼玉に住む叔母の家に身をよせ、1ヶ月後、養成所Aのオーディションを受けた。
が、オーディションとは名ばかり。1次試験の際に「全員落とさない」と宣言され、「2次試験で行われる基礎訓練を受けた後、入所するか否かは自己判断に任せる」と告げられた。
で、基礎訓練を体験後、受験者の半数以上が自主的に去って行った。それほど、基礎訓練の内容がキツかったのだ・・・

え? わたし? わたしは勿論、残りましたよ。
中学時代、いやいや入った卓球部でそうとうハードな筋力トレーニングを積んでたもんで、腹筋100回くらいならなんとかついていけたし、仕事も辞めちゃったわけだから、もうやるしかないでしょ?

つづきます。

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夢 4

もしかして、わたしのこと「美人かも」って思ってます?
「俳優の養成所に入ろうだなんて、よっぽど容姿に自信があるからに違いないわ!」って期待しちゃったりしました?

え? ああそう・・・してないの(-_-メ)

正解です(^_^)

わたしはちっとも美人じゃないし、容姿に自信もございません。
それどころか、子供の頃から自分のことを、醜いコだと思ってたのね。鏡を見るのも避けていたくらい。
自分の容姿が十人並みだと思えるようになったのは、高校2年生になった頃からだったと思う。

前にも書いた通り、わたしはものすごく自己評価の低いコだった。
それは勉強だけじゃなくて、容姿についても同じだったのね。
しかも、小学4年生~中学1年生くらいまでは本気で男の子になろうと努力していたから、その後遺症で、自分が男子から恋愛対象として見られてるなんてことは、想像も出来ないことだったし(~_~)

あ、別にこれ、心と体の性が不一致だったとか、そういう深刻な話ではなくてですねえ・・・
男の子になれば、弟と同じように親から愛してもらえると思ってたの。だから、男の子になりたかったのね~。
当時はまだそういう認識もなく、ただただ「男の子になるんだ!」って執念だけでクラスの男子のマネをして、地蜘蛛とか捕まえて遊んでた。おバカでしょう? ^_^;

今考えるとゾッとするけど・・・自分で自分をマインドコントロールしてたんだと思う。

初恋は小学5年生の時で、相手は同級生の男の子(*^_^*)

でも・・・好きな男の子がわたしのことを好きになってくれることがあるかもなんて、妄想すらできなかった。
容姿に自信がなかったというよりも、愛される自信がなかったんだと思う。
自分で自分のこと好きになれないのに、他人が自分のこと好きになってくれるなんてありえない・・・

当時はそこまで具体的に認識が出来てたわけじゃなかったけど、深層心理には間違いなく、そういう思いを抱えてた。

だからこそ、わたしは逆に、自分の容姿にあまりこだわらない女になってしまったんだと思う。

養成所に提出する履歴書に貼りつけたのは、自動で撮れる証明写真だった。しかも、ノーメイクで撮影に臨んだ上、機械が故障していたらしく、顔色が妙に青く見える失敗写真。履歴書に貼る写真なんて、本人だと確認さえできればいいものだと本気で思っていたので、他人からどう見られるかなんて微塵も考えちゃいなかったの(-_-)zzz

ちなみに、その失敗写真に写ったわたし、片桐◎いりさんにソックリでした(T_T)
ごめんなさい。片桐さん<(_ _)>

つづきます。

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夢 5

養成所に入ることが決まって1週間後、わたしは生まれて初めて、アパートを借りた。家賃4万2千円。トイレはついているがお風呂はついていない6畳一間。日当たりと風通しがイイのだけが取り柄の部屋だった。

この部屋に、わたしは養成所で知り合った同い年のN(♀)と二人で暮らし始めた。出来るだけ、家賃を安く抑えたかったからだ。
2次のオーディションが終わった後、「アパート捜さなくちゃ・・・」とNが呟いたのを聞いて、わたしはその場で「だったら一緒に住もうよ」と持ちかけた。Nは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すでに契約を終えていた部屋を下見に来て、その場でわたしと住むことを決めた。

それから1~2ヶ月後・・・・・・

「あの時は驚いたよ。だって普通、よく知りもしない相手に『一緒に住もう』なんて言わないよね」

とNに言われ、わたしは初めてそのことに思い至った。

確かにNの言うとおり、普通なら、言わない。ましてや、石橋を叩いて割ってしまうようなそれまでのわたしなら、絶対に言わない。それなのに・・・・・・わたしは言った。極自然に、何の躊躇もせず、彼女に「一緒に住もうよ」と言っていた。まるで、一緒に住むのが当然みたいに・・・・・・断られるかもしれないなんて、微塵も考えていなかった。

自分でも、物凄く不思議だった。

Nとはその後、6年以上一緒に暮らした。
昼間は養成所で、夜はアパートの部屋で、わたしたちは一日中一緒だった。
養成所は、二人とも2年で辞めたけれど、そのことは、別々に暮らす理由にはならなかった。

女同士、6年以上も同じ部屋で暮らしていたと聞くとたいていの人が驚き、ケンカも1度しかしたことがないと言うと、更に驚いた。
中にはイヤらしい想像をめぐらせる人もいたけれど・・・(^_^;)
わたしたちはまるで家族のように、一緒にいることが苦じゃなかった。
わたしにとってNは、家族以上に、心を許せる存在だった。
本当の家族にはまったく甘えられなかったこのわたしが、Nにだけは、弱音が吐けた。
わたしにとってNは、生まれて初めて出来た、『本当の友だち』だった。

この後も、まだまだ続くよ!(^^)!

と、またしても、カラ元気で書いてみた・・・(T_T)

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